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2017年07月23日
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詩と散文

2010年03月08日
 kader0dは詩と散文の雑誌だが、「詩と散文」という書き方は便宜的なものであり、実際はそんなにラフに文学をとらえることはできない。

 「詩と散文」という二分法はもはや無効である。「詩と散文」という二分法は、詩全般に共通する特徴と散文全般に共通する特徴を対立させ、その差異を問おうとするものである。だが、詩全般に共通する特徴、散文全般に共通する特徴など存在しないのである。よって、詩と散文を無批判に、ラフに対置させる態度には問題がある。

 「詩」という概念には、物語的なものと非物語的なもの、論理的なものと非論理的なもの、感受性重視のもの、レトリック重視のもの、コンセプト重視のもの、人生重視のもの、など多様なものが含まれている。だから、詩と散文を対置させるなら、それぞれの特徴をもった個別の詩と散文とを対置させなければならない。同様に、「散文」という概念には、文学的なもの、教化的なもの、論理的なもの、数学の証明のように形式的なもの、事務的なもの、など多様なものが含まれている。

 だから、詩と散文を比較したいならば、個別の詩と個別の散文を比較するしかない。物語的な詩と論理的な散文を比較したり、非論理的な詩と文学的な散文を比較したり、人生重視の詩と数学の証明を比較したりする。そのような細密できめ細かい比較においてしか、「詩と散文」の比較は成立しえない。

 無批判に、ラフに「詩と散文」を対置するのではなく、詩の個別的な構成要素、散文の個別的な構成要素を取り出して、それらを多様な組み合わせにおいて比較する。詩と散文の区別について論じるならばそのような方向性が妥当だと思われる。

(広田)
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