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2017年05月28日
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詩の存在意義

2010年06月13日

 小説の目的が人生の本質を描くことにあるとするならば、小説の歴史は終焉を余儀なくされる。なぜなら、人が人生を描こうとして、その根源的な現れ方を言葉に表そうとするならば、それはもはや小説ではなくて詩になってしまうからだ。小説の限界は意味不明になれないことにある。小説の限界は、伝達可能であり既存の概念によりかかっていることにある。ところが人生の本質を描くためには既存の概念では足りない。概念に回収されない人生の本質を描こうとするならば、必然的に言葉は詩になるのである。

 小説の目的を本質的に達成するためには、小説は小説であり続けることができない。それは途中から詩になってしまうのである。そこに詩の存在意義がある。確かに、逆に言えば、詩は物語を上手に語ることもできないし、明確に意味を伝えることもできない。だが、小説が既存の概念を越えようとして挫折するとき、その挫折を補うものとして詩は存在意義がある。詩がなしえない物語や概念的記述は小説がやればいい。

 つまり、詩と小説は人生の記述において互いに補い合っているのである。物語や伝達可能性は小説が担い、本質のありのままの言語化は詩が担う。この役割分担において詩は存在意義がある。だから、小説の方が詩よりも偉いわけでもないし、詩の方が小説よりも偉いわけでもない。

(広田)
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