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原稿
なかなか充実しています。
ゲストとして以下の方を予定しています。
永瀬恭一さん
藤原央登さん
イシダユーリさん
殿岡秀秋さん
柏木麻里さん
小野絵里華さん
藤本哲明さん
ポエケット出店
日時:2010年7月11日(日)午後1時半から
料金:入場無料
場所:両国江戸東京博物館1階会議室
我々は G2 のブースでお待ちしています。
ぜひご来場ください。
3号と4号を販売します。
店番は小林坩堝がやっていますので気軽に声をかけてやってください。
http://www.poeket.com/
必然性と意匠の彼方に
ところが、この必然性と意匠との間の葛藤がひとつの次元で完結しまっている詩人を多く見かける。つまり、必然性や意匠が発展していかず、自己模倣や他者模倣を繰り返しているのである。そういう詩人を見かけるとき、そこにその詩人の限界が見てとられる。その閉塞性を打破するためには何が必要か。
そこで必要となってくるのが思想やコンセプトである。つまり、詩とは何か、詩とはどうあるべきか、そういう問いに対しての理論的な説明である。これは、必然性と意匠のかなたにあり、なおかつ、必然性を変貌させ、また意匠を変貌させることができる。多くの詩人が陥りがちな自己模倣や他者模倣の閉塞性を打破するには、その詩人が、詩とは何かということを反省しなければならない。
例えば、刹那的な感受性のみを詩に固定していた詩人がいたとする。ところがあるときその詩人がひどい絶望に襲われ人生に沈潜したところ、人生こそが詩の源泉として面白いのではないかという思想を抱いたとする。すると、その詩人にとって詩を書く必然性は変わってくる。人生を描きたい、そういう必然性に従って詩を書くようになる。また、その際彼の取るべき意匠も変わってくる。人生を描くためにはいかなる意匠をとったらよいか、そういう思考に従って彼の意匠は変わる。
必然性と意匠とが一つの次元で閉塞してしまっている詩人に必要なのは、その対立軸の彼岸にある思想やコンセプトという動因だ。それが必然性や意匠を変質させ、詩人を閉塞状態から救う。
(広田)
詩の存在意義
小説の目的が人生の本質を描くことにあるとするならば、小説の歴史は終焉を余儀なくされる。なぜなら、人が人生を描こうとして、その根源的な現れ方を言葉に表そうとするならば、それはもはや小説ではなくて詩になってしまうからだ。小説の限界は意味不明になれないことにある。小説の限界は、伝達可能であり既存の概念によりかかっていることにある。ところが人生の本質を描くためには既存の概念では足りない。概念に回収されない人生の本質を描こうとするならば、必然的に言葉は詩になるのである。
小説の目的を本質的に達成するためには、小説は小説であり続けることができない。それは途中から詩になってしまうのである。そこに詩の存在意義がある。確かに、逆に言えば、詩は物語を上手に語ることもできないし、明確に意味を伝えることもできない。だが、小説が既存の概念を越えようとして挫折するとき、その挫折を補うものとして詩は存在意義がある。詩がなしえない物語や概念的記述は小説がやればいい。
つまり、詩と小説は人生の記述において互いに補い合っているのである。物語や伝達可能性は小説が担い、本質のありのままの言語化は詩が担う。この役割分担において詩は存在意義がある。だから、小説の方が詩よりも偉いわけでもないし、詩の方が小説よりも偉いわけでもない。
(広田)
振替口座
kader0d vol.4 完成
kader0d vol.4が完成しました。これをもちまして予約期間は終了といたします。
ご予約なされた方には、予約意思確認のメールを差し上げます。
なお、これ以降通常注文を受け付けます。ご購入希望の方はお名前(ご本名)・ご住所と郵便番号・部数の3点をお書きになったうえでsgkkn@olive.plala.or.jp(広田修)までメールをお送りください。
通常注文の内容は以下。
<詩>
一方井亜稀 薄明
広田修 探索 他人 熟語 連想
田代深子 帰参
小林坩堝 走馬燈
もときえか Un Dia
<散文>
田代深子 幽霊の居所III 旅するこころ 七人ミサキと旅小説
広田修 さよならパリ--高塚謙太郎とボードレール
一方井亜稀 なだれ込む手前の、あるいは飛翔を--関口涼子『熱帯植物園』を読む
佐原怜 幻の星座の輝く地上--杉本徹『ステーション・エデン』について
<ページ数>64
<定価>600円(郵便料込)
<発行人>広田修
<編集>本橋理英子
<発行日>5月1日
詩のアンチノミー
A 詩は言葉である
B 詩は言葉にならないことを伝える
AとBが矛盾することは明らかである。言葉は言葉にならないことは伝えられない。詩人は昔からこのような中学生にでもわかるような二律背反(アンチノミー)に命をかけてきたのである。
ところでこのアンチノミーを打開する策はないか。実は三つほどあるのだ。
(1)Aを否定する。つまり、詩は言葉ではなくイメージであるとか音であるとか感情であるとか主張するのである。
(2)Bを否定する。つまり、言葉の指示できる範囲を広げることで、言葉はあらゆる物事を伝えることができると主張するのである。言葉にならないことなど存在しない。だから詩は何でも伝えることができる。
(3)Aで言われている「言葉」とBで言われている「言葉」は別物であると主張する。Aで言われている言葉とは、言葉にまつわるあらゆるもの、イメージや感情・関連する概念などを含み、Bで言われている狭義の言葉とは異なると主張するのである。
(広田)
文学フリマ告知
5月23日、11時から16時まで、大田区産業プラザPiOで文学フリマが開催されます。
http://bunfree.net/
このページを参照してください。
会場アクセス
http://bunfree.net/?%C3%CF%BF%DE
そこで、kader0dは「並四ラジオ」さんに委託して、3号と4号を販売します。
ブース名「並四ラジオ」 ID Q-05 です。
両号とも数に限りがございますので、お早めに来ていただければ幸いです。
3号は500円、4号は400円で販売します。
なお、並四ラジオさんは、
あおばさんの新刊、100円の手作り詩集「椋鳥」。
あおばさんの所属同人誌「みゅう」(最新号見本誌)及びメンバーの個人詩集
オート三輪アンソロジー「車輪人間」(詩学社刊)
参加「iPプロジェクト」のアンソロジー詩集(太陽書房刊)
http://www.taiyo-g.com/anthology.html
を販売し、アトラクション物品として「並四ラジオ3号」を展示なさいます。
kadr0d vol.4 予約受付開始
kader0d4号の予約を受け付けています。定価は600円のところ、予約注文に限って400円(郵便料込)とさせていただきます。ご購入希望の方はお名前(ご本名)・ご住所と郵便番号・部数の3点をお書きになったうえでsgkkn@olive.plala.or.jp(広田修)までメールをお送りください。折り返し確認のメールを差し上げます。個人情報に関しましては当誌で責任をもって管理します。
詳細は以下のようになります。
*詳細*
<詩>
一方井亜稀 薄明
広田修 探索 他人 熟語 連想
田代深子 帰参
小林坩堝 走馬燈
もときえか Un Dia
<散文>
田代深子 幽霊の居所III 旅するこころ 七人ミサキと旅小説
広田修 さよならパリ--高塚謙太郎とボードレール
一方井亜稀 なだれ込む手前の、あるいは飛翔を--関口涼子『熱帯植物園』を読む
佐原怜 幻の星座の輝く地上--杉本徹『ステーション・エデン』について
<ページ数>64
<定価>400円
<発行人>広田修
<編集>本橋理英子
<発行日>五月中(予定)